最も著名な日本の芸能様式の四種類、能楽、狂言、歌舞伎、文楽は今日に至るまで続いています。
日本最古の芸能、能楽と狂言の起源は14世紀に遡ることができ、観阿弥と言う名の男とその息子、世阿弥により生み出されました。能楽は非常に伝統的かつ規律ある芸術形式であり、演者達は早ければ3歳から訓練を受け始めます。

ほんの小さな身体や表情の変化が新たな意味となってしまう為、上演の際、演者の動きは極めて正確です。一般的には一家の伝統として、息子が父親の跡取りとして能楽師となります。

歴史的には男性のみが能や狂言を演じてきましたが、1940年代に現れ始めた初の女性の演者達は有名な能楽師の娘たちでした。
伝統的な能楽の公演は五部構成となっており、各回の幕間として短い狂言が挟まれます。狂言とは二名から三名の演者からなる、15分程の短い喜劇の一種です。

より厳粛な演目に比べて、喜劇はより親しみやすい分岐としての役割を果たしていました。高度に様式化された動きは、能楽における複雑な感情を写し出しています。お面はたびたび、特に背景にいる脇役達によって着用されます。現代でも上演されている能楽ですが、その話の展開は殆ど変わらず続いています。多くの場合能楽では、超自然的な力を持った登場人物が人間に変えられるとった伝説が基となっています。

殆どの能の演目では、合唱、演奏者達、そして少なくても二名の主な演者達が含まれています。伝統的な登場人物は以下の通りです。

シテ – 主役 (主人公)。

ワキ – 敵対する相手、またはそれと同等の存在。

囃子 – 笛や多様な太鼓を用いる楽器奏者達。

狂言 – 愉快な演者達による幕間

歌舞伎の舞台はその特徴的な赤と白の化粧と贅沢な衣装で有名です。歌舞伎の原型は1600年代初頭に女性によって生み出され、それは日常を描いた滑稽な戯曲でした。これが貧しい者や中流階級の者達の間で大当たりとなったのです。
異なる階級の者達が「混ざる」事をよしとしない上流階級や貴族たちにより、女性達は1629年に演じる事を禁じられました。そうして歌舞伎は乗っ取られ、男性の演者のみを舞台にあげる事で芸能形式は変えられました。姿や化粧は明確な感情や特徴を描写する意図で施されています。登場人物たちの基本的な感情を伝える役割を果たしていることから、衣装の色も極めて重要でした。
歌舞伎の公演は一日がかりでした。歌舞伎は物語の立ち上がりと終焉までを追う五部構成が特徴的です。第一部となる序では、登場人物と物語を伝える穏やかな始まりとなっています。第二部から四部までの破では展開が加速して争いが起き、結果として第三部では重要で劇的な事件や災難につながります。

文楽は1700年代まで遡る人形劇です。文楽の人形は中国の影絵とは異なり立体的です。文楽の演者には三つの異なる種別が存在します。

人形遣い:人形を操る者。

太夫:語り手。

三味線:演奏者達。